〜essay No.11 ”批判よりも必要なもの”〜
批判を見聞きするたび、思うことがあるのです。
批判のその先はないのかなと。
ミスや欠点を指摘する、その先にできることがあるんじゃないかと。
例えば習い事なんかで先生にミスや欠点を指摘されたら
大抵は先生はそのミスや欠点を直すにはどうしたらいいかを教えてくれますよね。
批判の先にはそういう対策がないことが多いなと感じるのです。
以前、炎上についての考察を書きましたが、
なんだか批判するだけではもったいないなぁと思ってしまうのです。
批判したくなる気持ちは私の中にも、もちろんあります。
なんか憤りを感じたり、怒りやモヤモヤを批判にしたくなってしまう。
でも、本当に必要なのは、批判した後の対策、改善策なのではないでしょうか。
どうしても批判だけにとどまってしまうと嫌な感情だけが残ってしまう気がするのです。
言った本人はその時はスッとするのかもしれない。
でもその問題はおそらくあまり解決はされない。
批判の代わりに対策をみんなで考えていけば、いくらでも知恵は集まってくるはずなのに。
批判をするならセットで対策を考える。
実現可能性のある改善策を考える。
そうすると意外と実現可能な対策というのは難しいんですよね。
批判と対策をセットで考える癖をつけると、自然と批判することが
減ってくる気がします。
誰か批判したくなった時に、自分がその人の立場だったらどうしたらよかったか。
どうしたら批判される状況を回避できたかを真剣に考えて
もし、いい解決策が出てきたら、ぜひ教えてあげたらいいんじゃないかなと思います。
より良いアイディアを持ち寄って、一人では解決できないことをみんなで解決していく。
それがたくさんの人がいる意味であり、
これまで様々な発展がなされてきたことの基盤なのかもしれません。
自分ならどうするか、どうしたらより良い結果になるか、
そういう視点で考えていこうと思います。
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