情報に一喜一憂してしまう時ー情報社会のストレスー

私たちの身の回りにはありとあらゆる情報が散乱しています。

情報はとても価値あるものとして扱われる一方で

あまりにも大量の情報があふれてもいます。


さて、この情報によるストレスは実はとても多く聞かれます。

聞きたくもないのに入ってくる情報に一喜一憂してしまう、そんなこともありますよね。

今日はその"情報とストレス"について考えてみたいと思います。


情報というのはやはりマスメディアから発信されているものが多いです。

このマスメディアから発せられる情報というのは、社会心理学を主とした

いわゆるより多くの人を惹きつける、より多くの人に伝えるという目的に基づいて

とても考えられた、練られたものです。

表現の方法やタイミング、どの内容にどのメディアを使うか、など

緻密な計算がなされた情報である、ということが言えます。

緻密な計算があるからこそ、情報は無意識的とも言われるくらいに

たくさんの人に浸透していくわけです。


このことは普段あまり意識しないと思います。

情報に一喜一憂してしまうという時は、情報をそのまま受け取っていることが多いのです。

だからそれがまるで多数派の意見のように感じて翻弄されてしまう、

そういうことだと思います。

情報に一喜一憂してしまうと感じたら、ぜひその情報が流されている意図について

考えてみてください。

何気なく入ってくる情報のほとんどに、何らかの意図があるということを

意識してみることで、その情報を単に鵜呑みすることなく、

自分のフィルターを通して情報を吟味することができるようになってきます。


私たちの人生は選択の連続です。

朝、起きて何を食べようか、何を着て行こうか、誰と話そうか…

日々たくさんの選択をしています。

そんな私たちにとって、選択できないということは実は大きなストレスになります。

情報をそのまま鵜呑みにしてしまうことは、実は、選択せずに取り入れているようなもの。

半ば強制的に目や耳に触れさせられるから大きなストレスになったりするのです。

情報は自分のフィルターを通すことで

選択して自分の中に取り入れることができます。

選択をすることで、情報に一喜一憂することも減っていくのではないでしょうか。


とても便利で有益な情報。

でも、たくさんあふれているからこそ、自分のフィルターを通して

しっかり選びたいものですよね。