人の目が気になる時にーNOと言える勇気ー
人に好かれたいという欲求は本能的な欲求であって
誰もが持っている欲求です。
ただ、その欲求が強くなりすぎてしまった時に
人の目を気にしてしまって、なんだか自分の本当の気持ちを抑え込んでしまったりすると
窮屈な思いをしたりすることがあります。
誰もが持っている人に好かれたいという気持ちは自分が自分の気持ちを
素直に表現できるくらいの適度な量にできると楽になるということが言えます。
さて、私たちが人に好かれたいという欲求を持つには
社会的な動物であるということに加えてもう一つあります。
それは幼少期の記憶です。
子供、特に赤ちゃんの頃は親の保護なしでは生きられません。
そのため自分を保護してくれる他者(親)の愛情を、注目を得ることが必要なのです。
私たちは皆、小さい頃はまさに命がけで人に好かれることを求めてきたのですね。
大人になる時にはスイッチを入れるように突然大人になれるのではなく、
子供から徐々に大人になっていきます。
人に好かれることを命をかけてやっていた子供時代の習慣は子供時代にしっかりと
染み着くわけですからそれをそのまま大人になっても引きずってしまうのは
ある意味、仕方ないことかもしれません。
ですから、大人になっても人に好かれようと必要以上に思って頑張ってしまう。
そういうことは本当によくあります。
ただやはり冒頭でお話ししたようにいつも人の目を気にして行動することは
相手が変わるごとに言動も変えなければならないので、とても疲れてしまいますよね。
我慢もたくさんすることになってしまいます。
ですからできることなら大人になったら子供時代よりは人に好かれなくてはいけない
という呪縛から 自分自身を解放してあげたいものです。
今、人に好かれなくてはいけない”呪縛”という言葉を使いましたが
実は人の目を気にしすぎてつらい時には人に好かれなくてはと
思い込んでいることが多いように感じます。
なんだか漠然とみんなに好かれようとしてしまう。
でも、冷静に考えてみると関わる人、全員に好かれるということは
ほとんどありえないですよね。
そして相手の望むようにせず、あなた自身がしたいようにしても
あなたのことを好きになってくれる人はいるはずです。
ほんの少しの勇気を出して、NOと言ってみませんか。
あなたは本当は気が乗らないけれど、相手に要求されるから我慢して
YESと言ってしまう。そんなことがあればチャンスです。
本当の気持ちを尊重してくれる人は意見が異なってもきちんと認めてくれるはず。
反対にNOと言ったことで怒るような人は、その人自身も本当は好かれたくて
しょうがないのに方法がわからずにいるのかもしれません。
人をコントロールすることで仲間にできると思っているのかもしれません。
小さなことから自分の意思を表明していくことで
どんどん自由になっていけることを感じてくると思います。
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